ぬらりひょんなメタモルフォシス…「耳枕 三木陽子展」
Category : 現代美術シッタカぶり

5月19日→5月31日【ギャラリー揺】
銀閣寺道にほど近い、普段は住まいとして使っている画廊。
ほどよく手入れされた庭、涼風が通り抜ける、ぬれ縁のある和室。
多作な作家のようで、そこかしこに展示され
置場所も充分考えられた展示となっている。
セラミックアーティストの三木氏は過去にも
様々な展覧会で注目される、
大阪芸術大学での教鞭をとる若手作家である。
展示作品は全て磁器。色彩もホワイト&ブラック。
どの作品も独特のぬめり感が
まるで撫ででいる内にすり減って滑らかになったような表情をしている。
庭の壁には大きな耳が二つ。
作家は耳を蝶に見たてる。耳は対、蝶の羽、あれは対とは言わないか…
敷石の隙間には芋虫がうねうねと行列をなしてうごめいている。…
部屋では蛇口の取っ手がそれぞれ犬の顔…それもリアルに。
和室の掘りの部分をうまく使って、浅めに鉢に沈む「手蛙」。
羊の一連のシリーズはどうも奇形ギリギリの線で
見る者に不安を抱かせる。
トイレに入れば入るで、トイレットペーパーのホルダーに
小さなネズミが貼り付いているし、トイレの掃除セットも何か妙である。
犬、蛙、ネズミ、羊たちは素材としては、それ自体が「生き物」であるが
組み合わせる対象がことごとく、無機的であるために、
唐突でぶしつけな印象さえ漂わせる。
しんなりと説き伏せると言うより、開き直りともとれる不敵ささえ伺わせる。
それが、ある観客が感じる“コワさ”かも知れない。
ここで言う“組み合わせ”とはその無機的な物体に
何のわだかまりもなく溶け込む一体感である。
理由が見当たらない。もはや必要としないほどに強制的である。
このDMに映る(僕が勝手につけた)「手蛙」の実物を見てみたい衝動は
やはり“上品でとてもおだやかなグロ”を感じたからであろうか。
しかし作者にその意図があるのか無いのか…。
このギャップを作家自らが確信犯的に楽しんでいる様子が伺えるエピソードは
お茶会の時の碗をいただいた後によく見ると
蛙か羊の(良く覚えてないが)顔が
碗の内側、あるいは外側に出てきて、驚きの声をあげるというもの。
茶目っ気たっぷりの三木氏である。
過去の作品は氏のオフィシャルサイトにて
↓
http://www.mikiyoko.com/works/works.html