柔らかで、かつ揺るぎなく…「空間造形展 井上圭三」
Category : 現代美術シッタカぶり



8月25日→8月30日【同時代ギャラリー】
鉄が感じさせる重量感や圧迫感はそれほど感じない。
それは意図され、構築されたフォルムに理由がある。
軽やかに立つスレンダーな椅子群も、
とことん要素を削ぎ落とした他の作品も
確かに手が切れそうな鋭利な肌合いを持ってはいるが
どことなくユーモラスである。
一枚の板にスリットを入れて、曲げる、折る、からませる。
会場に入ってまず目に入る大きな“球体”は子宮をイメージしたもの。
この強固なバリアこそが母性を支え、
人類を支えてきた“母の自負”そのもののように映る。
見ようによっては動物の骨組みにも見える。
骨は内臓を守り、子宮は新しい生命を守り、育む。
テーマは「家族」
母の子宮→子供たち→子供たちが出会うオモチャ→男女の出会い→新しい家族→
それぞれが母、父に→やがてお爺さん、お婆ちゃんに…
3代にわたる家族の歴史。
8点の作品(椅子にはそれぞれにオブジェが付随する)は
作家に話を訊いて、それぞれがリンクしているということを理解する。
知らない人はそれで“かたちとしての面白さ”をもらって帰っていったらいいと思う。
ただ、「家族」というテーマがあればこそ、
見手のスタンスに深みが加わる。
老人は「揺り椅子」の要素を得て“安定”と“安寧”を表現。
お母さんの椅子の上には「胎盤」のような(これは僕だけの解釈)オブジェ。
これは子どもへの“未練”。
大人になっての出会いは、自身無さげで不安。
流行の(!)細い足を見せながら、
まるで“性”を密やかに牽制しているかのように向き合う。
ひと際高い「父」の椅子。
威厳と偉容。
静かに家族を見つめる。
「家族」は、まず他人どうしの意志の統合と理解によって構成される共同体。
この作品群を作家がコンセプトに置いた「家族」の視点から見る時、
母の子宮から始まり、子供の自己主張、父の存在あるいは父性、
やがて来る老いを一つの歴史として捉えたオブジェを見て
“始めにテーマ在りき”なんだと感じた。
家族はやがては離れ離れになり、
子供たちは一個の新しい家族の“片割れ”として巣立って行く。
この鉄の凛とした立ち居振る舞いに
作家の家族に対する思いを垣間みた。