強靭で柔軟な木炭の力…「ウィリアム・ケントリッジ/歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた…」
Category : 現代美術シッタカぶり

9月4日→10月18日【京都国立近代美術館】
次のワールドカップ開催地、南アフリカ共和国出身、在住の作家である。
僕と一つ違いのケントリッジ氏。
自分が生まれた国が、いか様にして芸術表現に関わるかを
如実に実感する展覧会だった。
いくつもある大きな会場に多彩で強いメッセージを含んだ
作品、19点の映像と36の素描、64点の版画が紹介されている。
自らの作品を“石器時代の映画制作”と(多分に自嘲気味に)言う、その作風は
木炭で描いたものを一コマずつ撮影し、今撮影したものを部分的に消してまた描き、
また撮影…これを繰り返す、気の遠くなるような作業の果ての表現力は
そのまま“筆圧”のあるアニメーションとなって観る者に迫る。
それは“意図的な消し残し”が連続した時間をあぶり出し、
全くの“オリジナルなリアリティ”を生んだのである。
広い会場に5つのスクリーン。
観客はヘッドフォンをつけて、それぞれの作品に該当するBGMを聴きながら
鑑賞するのだが、バックに流れるアフリカン・ミュージックの
訴えるような切ないヴォイスと静かな躍動感とでも言える
小刻みにダンスを踊るようなリズムに心地よさすら感じた。
実際の内容はシリアスなもので、南アフリカの実情、言うまでもなく
アパルトヘイトへ強い憤りを、そのまま植民地支配への批判として発信し、
自分に、そして美術にできることは何かを訴えかけるものだと思う。
生まれ育った自国の汚点とも言うべき制度を
当時どんな気持ちで受け止めていたのか…。
作家当人も映像に現れるが、見たところは白人のようである。
資料には書かれていないが為政者からは疎まれたに違いあるまい。
ただ各地でのビエンナーレなどへの出展による世界中からの
大きな注目や支持に支えられてきたことも事実だろう。
ケントリッジ氏はヨハネスブルグ大学で政治学を専攻、
26才でパリに出て演劇やパントマイムなど学び、
舞台美術、演出、俳優(!)としても活動していたというから
表現手法については実に多彩な人だ。
その中でのアナログ的な制作工程は
社会批判を織り込んだ作品、そして自己と他者、人種、イデオロギーを
反映するアニメーションに於いて驚嘆する結果となって私たちに
映像の可能性を示唆する。
政治と芸術との決して“交わらない”会話は
そのままエネルギーとなって数々の問題作品を生んできた。
ケントリッジ氏もまた、その内なる衝動を
さまざまな作品に投影しながら
これからも強靭な表現力を余す事無く発信していくに違いない。