彼方の闇に声が聞こえる…「舞台裏 - 物語へようこそ -」
Category : 現代美術シッタカぶり

↑ルドルフ「授業」(2010年6月上演予定)に使われるもの。

↑MONO「赤い薬」で使われたもの。
↓以下は全て模型







4月13日→5月9日【京都芸術センター ギャラリー北・南】
観客が触れられないもの、それが舞台装置。
観客たちは場面の空気や気配、
役者の吐く言葉や会話を通してしか物語を信じない。
勝手に物語を作ることはできない。
舞台の彼方と此方、観る側と演じる側、
日常と非日常の狭間にユラユラと身をゆだねる気持ち良さ。
舞台美術は、そこに決定的な視覚効果を目論んでこそ成立する
ひとつのインスタレーションと考えていいと思う。
時には役者も装置の一つとなり、装置と溶解する。
実際に舞台公演に使われたもの、
そしてこの6月に行われる予定の公演の舞台美術を
2つのギャラリーに置くという企画。
僕たちは普段触れない壁や床や机や椅子を
手の平や匂いで感じながら、
有るべくもない「虚ろな世界」を夢見る。
ギャラリーで見る舞台美術は、またその“裏側”を知ることによって
とても機能的かつ効率的な装置のあり方を知ることとなる。
素材や技術的なことは勿論、いかにコストをかけずに
限りなく目的を果たすかという命題につきまとわれながら
仕上げるタフさもひしひしと感じる。
ここでは材料や加工にまつわる費用から換算した制作費も公表されている。
多才な人は居るものだ。
南ギャラリーで展示されている舞台美術は劇団で俳優として活躍する奥村氏のもの。
2001年度京都市芸術文化特別奨励者。
2007年の第14回、2010年の第17回読売演劇大賞優秀スタッフ賞受賞。
ご本人に質問したところ、俳優は内から外へのアプローチ、
舞台美術は外から内へのアプローチで、両方の感覚を知っていることは
幅を広げることだと仰っていた。
他人のために(と言う言い方は失礼かも知れない、演劇のために、だ)
作った舞台美術とご自分が演じる環境としてある舞台美術と
どのような折り合いをつけるのだろうか、などと不器用な僕などは考え込む。
全く脚本が出来ていない状態から作ることもあるというから驚きだ。
脚本家がその模型なり、スケッチを見て、想定し、設定する。
とにかくそのディテールは観客席から見ての大前提の元、
驚くほどによくできている。
プロなんだから当然と言えば当然だが。
そこには観客を快く欺くための
智恵や工夫がたくさん散りばめられていた。
北ギャラリーでの展示は
舞台などの優れた美術・装置に贈られる伊藤熹朔賞新人賞受賞の
柴田氏の作品。
プラン、スケッチ、図面、模型製作、大道具製作、搬入、解体、廃棄まで
全てこなすスゴい人である。
すばやく組み立て、解体ができるという条件のみならず
巡回公演する場合、最小の劇場に合わせて作るという制約があるために
これもビフォーアフターではないが匠の腕の見せ所なのだろう。
このデジタルな時代に、手で丹念にスケッチを繰り返し、
試行錯誤しながら“あちら世界”の構築を図る。
まさに芸術性に富んだアルチザンと言えるその仕事ぶりにただただ感服。
もう一つ、企画としてあるのがフリンジ・パフォーマンスの募集。
普通は脚本ができてから完成する舞台美術を
逆に先にできている舞台プランに合わせた
ジャンルフリーのパフォーマンスをするというもの。
ダメ元で応募してみたが結果やいかに…。
でも、あの舞台に居る自分を想像するとちょっと楽しくなるから
キャパも持ち合わせていないのに、実にやっかいな話だ。



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