fc2ブログ

陰 ≒ in…「 - 集束 - 中岡祐一朗 展 」

Category : 現代美術シッタカぶり
7月27日→8月1日【GALLERY MARONIE 3】

作品はそれ自体の質量と表情だけで成立するものではなく、
容れ物としてのギャラリーの機能を
充分に理解してこそ、観客に訴えることができる。
作品そのもののクオリティをも変化させてしまうほどに
展示される環境の影響は計り知れない。
自然光が全く入らないホワイトキューブは
確かに環境としての意味性は剥奪され、
ほとんどニュートラルな状態で待機している。
そこへ下見に来た作家は
スペースのサイズを計り、照明装置を確認し、動線をトレースしながら
この器にいかに作品を収め、また暴れさせるかに心砕く。

片方の壁の、
リンゴに強力な圧力をかけたような造形と
もう片方の伏線のようにレイアウトされた枝との間に
確かに繋がるものがある。
作家が意図している、いないに関わらず、箱は中身によって、これほどに変容する。

CIMG2640.jpg

CIMG2643.jpg CIMG2650.jpg

中岡さんは言う。
「人の闇の部分。ダークサイドにとても興味がある」
それはある人にとってはグロテスクでもあるが、
また同時に“美しきはらわた”とでも言える
いかんともしがたい本性の表れでもある。
人と人の関係性は暗黙のルールによってかろうじてバランスを図られている。
見えない意識のうねりや感情の浮き沈みは
なるべく自分の中に封印して、何気なさを装いながら生きる。
また誰かに吐露しながら見え透いた共感を求めたりする。
この“弱さの健気さ”のようなものに作家は惹かれるのではないだろうか。

CIMG2637.jpg

CIMG2635.jpg

CIMG2654.jpg

二つのブロンズ作品は相反するベクトルを持ちながらも
互いに強く“凝視”しているかのようである。
求心的に一つの幹に向かって集まる力と
空間に向かって解放される力とが
一種の臓器や血管のような“生臭さ”を感じさせる造形によって示される。
また見方を変えれば呪術的なイメージを喚起させる配置にもなっている。
それは骨のようでも精霊が宿る枝のようでもある。

ブロンズは磨けば独特の鈍い光が魅力的だが
ここでは極力抑えられて、どす黒く枯れた味わいさえある。

「闇の部分」これほど魅力的なテーマもない。
そして何よりも作品そのものが美しいということが大切だ。
もの言わずして多弁な作品からは
中々離れることができないのである。

作家は2006年に伊丹国際クラフト展において
アルミの「酒筒」で優秀賞(白雪松緑賞)を受賞されている。
生活器としての金属工芸の上に独自の造形観を組み込んでの
素晴らしい作品である。

matsu_award.jpg

にほんブログ村 美術ブログ 現代美術へ

↑ポチッとくれたらありがたき幸せ♪
58カ国語に翻訳
English
お越しいただきありがとうございます

ナミキ・キヨタカ

………………………………………
アート・ドキュメント・ブック・
ミュージック・演劇・ダンス・
朗読・時事・ひがみ・そねみ・
やっかみ・おせっかい…
などなどシッタカぶって書きちらかしては
ゆらゆらと過ごしております。
言いたがり、やりたがり、ノリたがりな
のんのんとしたブログにお越しいただき
ありがとうございます。
facebookもよろしくです。
………………………………………

ここから、また…
最近の書き散らかし…
こんなこと書いてます
こちらへもどうぞ!