自分との対峙、そして欲に満ちた“俗”へのいざない…「 松本 央 solo exhibition Beast Attack ! 」
Category : 現代美術シッタカぶり
6月7日→7月8日【 BAMI GALLERY 】




松本さんと言えば自画像。
何しろ大学の課題での人物画から、自画像を描いている。
描いている、と聞けば気が向いた時にだろう、などという想像を
軽くぶちきるほどに執拗に描いている。
いや“執拗”という表現はやはりおかしい。
これは松本さんにとってのミッションなのであるから。
松本さんのブログがある。
そのものズバリの「自画像日記~日々自画像を描き続けるある馬鹿作家の記録~」
http://matsumoto2008.seesaa.net/ である。
2009年9月から始まるブログにアップされた自画像は
なんと今日(6/16)の時点で525点にも及ぶ。
僕にとって松本さんの個展は3回目。
自画像作家の松本さんにとって、そう言われるであろうことを想定してなお、
松本さんにとって自画像は日々のメンタルな部分、
いや単純にコンディションのものさしと言ってもさしつかえないほどに
もはや自身をエスキースしているのでは、思うようにしている。
過去ログは以下に
↓
http://den393.blog81.fc2.com/blog-date-201007-22.html
http://den393.blog81.fc2.com/blog-entry-366.html
さて今回のタイトルはおだやかではない。
何しろ「 Beast Attack ! 」である。
松本さんご自身の印象は物腰の柔らかな穏やかな人であるが、
ギャラリーオーナー曰く、「こんな感じですよ、実際のところは」
この個展の案内がメールで来た時に、心の中で喝采したのは
勿論僕だけではあるまい。
突き抜け感があったのである。
「自我」をテーマに、作品に登場する人物は全て作家自身であるという
松本さんの中での不文律というかコンセプトは
今回の個展で、失礼を承知で言えば、もう僕の中では
どうでもいいような気がしたのだ。
だからこそ自画像のブログに描かれる何百もの自画像の意味が立ちのぼってくる、
そう言いたい。
ここに描かれた作家“らしき”人物はそうでなければならない必然が
ごくナチュラルに剥落されていて、
そこに松本さんなりのブレイクスルーを見る。
つまり画面的にはエキセントリックであっても
“作家が”とか“作家の”とかの特定されたイメージが
画面の中の行為によって見事に消えている。
これは普遍的ともいえる異常行為への欲求を
表しているようで、見ていて清々しいほどである。
世間ではそれを変態とも言う。
しかしここにある種のカタルシスを覚えるのは
過去に松本さんが発表してこられた自己との向き合い方とは
確実に異なる“危なげさ”が放出しているからである。
これを本能と捉えるか否かは見る人にもよろうが
松本さん独特の、静謐かつ整然としたものとは
違う味わい、というか“きっかけ”が表れているのではないだろうかと思う。
僕もリンクさせていただいている
絵を描くことが大好きな方のブログにこんなことが書いてありました。
「生きている上で一番大切な事。
それは自分をよく知る事。
自分は顔の中に凝縮されている。
……中略……
ほんとうの自分を求めてデッサンする。
……中略……
自分が描けずに他が描けるはずがない。
「自画像は全ての表現の原点だ」
これはその方が師事されている先生の言葉のようですが
簡潔でとても力に満ちた説得力ある言葉です。
松本さんも毎日自分の顔を見ながら、そして描き続けながら
自分の向こう岸に見えるものを探しているのかも知れない。
松本さんは2008年の二紀展に初出品で初入選され、
2011年には黒田賞受賞。
まさにこれからの人。
対峙しているのは他ならぬ自分であるということに
今現在の私達のあり方を見る思いがする。






松本さんと言えば自画像。
何しろ大学の課題での人物画から、自画像を描いている。
描いている、と聞けば気が向いた時にだろう、などという想像を
軽くぶちきるほどに執拗に描いている。
いや“執拗”という表現はやはりおかしい。
これは松本さんにとってのミッションなのであるから。
松本さんのブログがある。
そのものズバリの「自画像日記~日々自画像を描き続けるある馬鹿作家の記録~」
http://matsumoto2008.seesaa.net/ である。
2009年9月から始まるブログにアップされた自画像は
なんと今日(6/16)の時点で525点にも及ぶ。
僕にとって松本さんの個展は3回目。
自画像作家の松本さんにとって、そう言われるであろうことを想定してなお、
松本さんにとって自画像は日々のメンタルな部分、
いや単純にコンディションのものさしと言ってもさしつかえないほどに
もはや自身をエスキースしているのでは、思うようにしている。
過去ログは以下に
↓
http://den393.blog81.fc2.com/blog-date-201007-22.html
http://den393.blog81.fc2.com/blog-entry-366.html
さて今回のタイトルはおだやかではない。
何しろ「 Beast Attack ! 」である。
松本さんご自身の印象は物腰の柔らかな穏やかな人であるが、
ギャラリーオーナー曰く、「こんな感じですよ、実際のところは」
この個展の案内がメールで来た時に、心の中で喝采したのは
勿論僕だけではあるまい。
突き抜け感があったのである。
「自我」をテーマに、作品に登場する人物は全て作家自身であるという
松本さんの中での不文律というかコンセプトは
今回の個展で、失礼を承知で言えば、もう僕の中では
どうでもいいような気がしたのだ。
だからこそ自画像のブログに描かれる何百もの自画像の意味が立ちのぼってくる、
そう言いたい。
ここに描かれた作家“らしき”人物はそうでなければならない必然が
ごくナチュラルに剥落されていて、
そこに松本さんなりのブレイクスルーを見る。
つまり画面的にはエキセントリックであっても
“作家が”とか“作家の”とかの特定されたイメージが
画面の中の行為によって見事に消えている。
これは普遍的ともいえる異常行為への欲求を
表しているようで、見ていて清々しいほどである。
世間ではそれを変態とも言う。
しかしここにある種のカタルシスを覚えるのは
過去に松本さんが発表してこられた自己との向き合い方とは
確実に異なる“危なげさ”が放出しているからである。
これを本能と捉えるか否かは見る人にもよろうが
松本さん独特の、静謐かつ整然としたものとは
違う味わい、というか“きっかけ”が表れているのではないだろうかと思う。
僕もリンクさせていただいている
絵を描くことが大好きな方のブログにこんなことが書いてありました。
「生きている上で一番大切な事。
それは自分をよく知る事。
自分は顔の中に凝縮されている。
……中略……
ほんとうの自分を求めてデッサンする。
……中略……
自分が描けずに他が描けるはずがない。
「自画像は全ての表現の原点だ」
これはその方が師事されている先生の言葉のようですが
簡潔でとても力に満ちた説得力ある言葉です。
松本さんも毎日自分の顔を見ながら、そして描き続けながら
自分の向こう岸に見えるものを探しているのかも知れない。
松本さんは2008年の二紀展に初出品で初入選され、
2011年には黒田賞受賞。
まさにこれからの人。
対峙しているのは他ならぬ自分であるということに
今現在の私達のあり方を見る思いがする。