ここに在る自然との、しとやかな対面 …「 川北 ゆう 個展 〜 はるか遠くのつぶ 〜 」
Category : 現代美術シッタカぶり
2012. 06/1 → 06/30【 eN arts 】
できれば穏やかな心で作品を見たいものだと思う。
しかしこの“穏やかさ”を
奥の方から無理矢理引っ張ってこなければ
(もうすでにここで穏やかじゃぁない)いけない現況というのもあったりで…
なかなかに世知辛い。
絵を見ても腹の足しにならないことは誰でも周知しているが
かと言って「豊かなこころ」というのもなんだか
言うだけおこがましい。
そんなものは見てからでないとわからない。
だから、シフト。
つまりは自身のギアボックスに
ニュートラルを持っとかないといけないと思ったりする。
きれいな目でものを見る“癖”をつける。
ギャラリーとはその訓練の場でもある。
目からウロコが落ちる思いというのを何度となく経験できる場が
他でもないギャラリーなのだ。
川北さんの作品に向かい合う時のその感覚は、
点眼液をさして視界が開けたような心地。
そして“穏やか”に静かにニュートラルに染み込んでいく自分を見る。
人の手が作用するのは、
ものの動きにほんの力を加える部分だけで
あとは“ゆだねる”と言ったほうがいいのか、
そのゆだね方がそのまま川北さんの創意と重なり、
美しいリズムを刻む。
川北さんの一文になるほどと思わせるものあり。
「葉脈や波紋の形は人のために美しいのではない。
しかし、それらには人を惹き付ける強い力がある」
この言葉に作品のすべてが語られていると言っても過言ではない。
そうなのだ、
西日に透ける葉脈をカブトムシがじっと見ながら
「素晴らしい芸術だ!」とも、
雨水に踊る水面に広がる波紋を
よもやアメンボが「なんて美しいんだ!」などと思うわけもなく、
(でも僕はそう思いたい)
そのカタチや動きを何の作為もなく自然は作りだしてしまう。
この必然があって、どれほど人間は幸せになれたことだろう。
川北さんの作品の重要な要素に水がある。
この常に流動する、制御しにくい水が
さまざまな条件のもと、作家の意図を反映させる環境をつくる。
水溶性フィルターに描かれた線画は水の移動と共に
そのカタチをなすがままに歪(ゆが)ませ、歪(ひず)ませ、
お行儀の良かった過去の姿とは似ても似つかぬ、
奔放で繊細で豪放な、美しい“裏切り”を展開させながら
カンバスに魅力的な容姿を現す。
それは制作過程を知るほどに感嘆し、抗うことのできない“水の摂理”を思い知る。
↓

今回の新作。
タイル。
水槽にタイルを沈め、インクを垂らす。
タイルに落ちて行くインクが水面の揺らぎによって
静かに定着する。
模様が現れる。
もう、任せるしか無い。
何度も書くが、つまりは「任せ方、ゆだね方」に
川北さんの自然界への畏敬の念というものが強烈に感じられるのだ。
驚異的な面差しでもって、
しかも、しとやかな対面を果たす。
そのままの状態で水を静かに抜いて乾燥させるのだが
一切の定着剤を使用していないと言う。
表情が変わってしまうからである。
会場にはダメ出しと思えるほどに
繊細な作品ですから気をつけてください、との告知。
サッと撫でただけで、タイルの模様が消えてしまうほどの儚さもまた、
雲や夕日や波や漂う気流と同様に
心に留めおきたい刹那を感じさせる。









「独創」とは時に望まないエキセントリックさを道連れにしたりする。
残念ながらそれは予感通り驚かすことだけで収束する。
この個展では、カンバスの奥に大きな力を感じるだけの
川北さんの静謐でしとやかな、わき起こる想念や視座というものに
完全に魅了されてしまった自分が居た。
感服、感服。
できれば穏やかな心で作品を見たいものだと思う。
しかしこの“穏やかさ”を
奥の方から無理矢理引っ張ってこなければ
(もうすでにここで穏やかじゃぁない)いけない現況というのもあったりで…
なかなかに世知辛い。
絵を見ても腹の足しにならないことは誰でも周知しているが
かと言って「豊かなこころ」というのもなんだか
言うだけおこがましい。
そんなものは見てからでないとわからない。
だから、シフト。
つまりは自身のギアボックスに
ニュートラルを持っとかないといけないと思ったりする。
きれいな目でものを見る“癖”をつける。
ギャラリーとはその訓練の場でもある。
目からウロコが落ちる思いというのを何度となく経験できる場が
他でもないギャラリーなのだ。
川北さんの作品に向かい合う時のその感覚は、
点眼液をさして視界が開けたような心地。
そして“穏やか”に静かにニュートラルに染み込んでいく自分を見る。
人の手が作用するのは、
ものの動きにほんの力を加える部分だけで
あとは“ゆだねる”と言ったほうがいいのか、
そのゆだね方がそのまま川北さんの創意と重なり、
美しいリズムを刻む。
川北さんの一文になるほどと思わせるものあり。
「葉脈や波紋の形は人のために美しいのではない。
しかし、それらには人を惹き付ける強い力がある」
この言葉に作品のすべてが語られていると言っても過言ではない。
そうなのだ、
西日に透ける葉脈をカブトムシがじっと見ながら
「素晴らしい芸術だ!」とも、
雨水に踊る水面に広がる波紋を
よもやアメンボが「なんて美しいんだ!」などと思うわけもなく、
(でも僕はそう思いたい)
そのカタチや動きを何の作為もなく自然は作りだしてしまう。
この必然があって、どれほど人間は幸せになれたことだろう。
川北さんの作品の重要な要素に水がある。
この常に流動する、制御しにくい水が
さまざまな条件のもと、作家の意図を反映させる環境をつくる。
水溶性フィルターに描かれた線画は水の移動と共に
そのカタチをなすがままに歪(ゆが)ませ、歪(ひず)ませ、
お行儀の良かった過去の姿とは似ても似つかぬ、
奔放で繊細で豪放な、美しい“裏切り”を展開させながら
カンバスに魅力的な容姿を現す。
それは制作過程を知るほどに感嘆し、抗うことのできない“水の摂理”を思い知る。
↓

今回の新作。
タイル。
水槽にタイルを沈め、インクを垂らす。
タイルに落ちて行くインクが水面の揺らぎによって
静かに定着する。
模様が現れる。
もう、任せるしか無い。
何度も書くが、つまりは「任せ方、ゆだね方」に
川北さんの自然界への畏敬の念というものが強烈に感じられるのだ。
驚異的な面差しでもって、
しかも、しとやかな対面を果たす。
そのままの状態で水を静かに抜いて乾燥させるのだが
一切の定着剤を使用していないと言う。
表情が変わってしまうからである。
会場にはダメ出しと思えるほどに
繊細な作品ですから気をつけてください、との告知。
サッと撫でただけで、タイルの模様が消えてしまうほどの儚さもまた、
雲や夕日や波や漂う気流と同様に
心に留めおきたい刹那を感じさせる。









「独創」とは時に望まないエキセントリックさを道連れにしたりする。
残念ながらそれは予感通り驚かすことだけで収束する。
この個展では、カンバスの奥に大きな力を感じるだけの
川北さんの静謐でしとやかな、わき起こる想念や視座というものに
完全に魅了されてしまった自分が居た。
感服、感服。