演劇が縁、でしたか、フムフム …「 長谷 治郎・大島 尚子 二人展 」
Category : 現代美術シッタカぶり
2012. 07/10 → 07/15【 GALLERY SUZUKI 】
大島さんは旦那さんである大島孝之さんの個展で出会ったのだが
お二人のコンセプトの妙が面白くて
なんかいい夫婦だなぁという印象を抱いたことを思い出す。
ご主人もとても柔らかでおいしそうな感じです(何のこっちゃ1)
ホテルモントレの例のアートフェアでも
大島尚子さんのバスルームでの展示は際立って良かった。
なぜかバスルームというシチュエーションにぴったりだったように思った。
理由はわからないのだけれど…ここがいいとこでしょうな(何のこっちゃ2)
大島さんの絵を見ていると作品がどんなに小さくても大きくても
変わらないリズム感があって、サイズに左右されない確固とした
作風が大島世界を揺るぎないものにしている、そんな感じがする。
一見、楽天的に思える世界だが実は微かにダークサイドなエッセンスも感じられて
いわゆる「大人な童話」といった風情がある人。
僕は今回ほど大きな作品を見たことがなかったので
先ほど述べたサイズに関わり無く…という下りをこのギャラリーで
しっかり検証させていただいた。
実に細かい作業であることに変わりはないのだが
結論から言うと密度は同じということ。
この大作を見ていると小さい作品でも決して手を抜かない大島さんなりの
性(さが)をひしひしと感じる。
大島さんの作品にはレンガをモチーフにしたものが多い。
なぜかと問えば「一つひとつ積み上げていく感じがなんだか安心するのかなぁ」と
仰っていた。


↑レンガの向こうに見える海。大島さんの茶系の色使いもまた見所。とにかく細かい。下は部分。


↑レンガのトンネルから空を見る。抜けたレンガが星に空が月にも見える。
下は部分。一編の物語がどの作品にもうかがえる。でも決してメルヘンにならない。

一方の長谷さんはテンペラ画。
このお二人の縁は?
長谷さんはその昔、京大の演劇部における公演などで
舞台美術を手掛けられていたそう。
片や大島さんは女優の広田ゆうみさんの朗読公演のフライヤーを
作ったことがあって、まぁいろいろあってこの二人展と相成った。
そういえば広田さんは京大出身でしたね。
そもそもは芳名帳に田中遊さんのサインがあったので
お二人に質問したわけで…。
その長谷さんの作品はちょっと不思議な絵だ。
3つの大きな作品はどれも人物が描かれているのだが
それらは画面での位置関係や露出度からすると
楚々としたポジショニングで、むしろ背景のディテールの
描き込みぶりに圧倒される。
シッタカが興味深いのはその人物のレイアウト。
この会場にあった作品に共通したものとは
決してつま先まで描いていないこと。
一部を画面の外に存在させている。
シッタカはここに、長谷さんの絵に漂う思わせぶりな印象を見たりする。
真意はさておき、背景の描き込みの超絶ぶりは…
嗚呼、現物を見ていない人には伝わりにくいだろう。
シッタカの写真などでは到底無理というもの。
どんなにそばに寄ってみても質感に一切の違和感を伴わないという
とんでもない(失礼)絵である。
しかもそれら背景はすべて想像の産物だという。
そう、舞台美術を手掛けていた、という明白な事実が
すべてを裏付けてしまった(何だか変な言い方だ…)
見てもいないモノを描き(ここが肝心なのだが)
さらに至近距離で見てみれば、一体自分は何を見ているのか
自信がぐらぐらっと揺らぐという…そんな作品。
一枚の女性の絵を見ていてしばし考えた。
どこかで見たことのある人…
「!」それは正に先の広田ゆうみさんであった。
「今度は田中遊さんをモデルにしようかな」とも…
お二人のお話もさることながら
演劇世界と絵世界が
こうゆう風に素敵に結びつくとはね。
帰り道もなんだかちょっとウキウキした二人展でした。



↓背景をアップ。この質感は驚き。実はこの背景が作品になんともいえないアンニュイな空気を漂わす。
などと、シッタカぶる。



↑その広田ゆうみさんがモデルとなった絵。(ガラスの反射でうまく撮れませんでした)
大島さんは旦那さんである大島孝之さんの個展で出会ったのだが
お二人のコンセプトの妙が面白くて
なんかいい夫婦だなぁという印象を抱いたことを思い出す。
ご主人もとても柔らかでおいしそうな感じです(何のこっちゃ1)
ホテルモントレの例のアートフェアでも
大島尚子さんのバスルームでの展示は際立って良かった。
なぜかバスルームというシチュエーションにぴったりだったように思った。
理由はわからないのだけれど…ここがいいとこでしょうな(何のこっちゃ2)
大島さんの絵を見ていると作品がどんなに小さくても大きくても
変わらないリズム感があって、サイズに左右されない確固とした
作風が大島世界を揺るぎないものにしている、そんな感じがする。
一見、楽天的に思える世界だが実は微かにダークサイドなエッセンスも感じられて
いわゆる「大人な童話」といった風情がある人。
僕は今回ほど大きな作品を見たことがなかったので
先ほど述べたサイズに関わり無く…という下りをこのギャラリーで
しっかり検証させていただいた。
実に細かい作業であることに変わりはないのだが
結論から言うと密度は同じということ。
この大作を見ていると小さい作品でも決して手を抜かない大島さんなりの
性(さが)をひしひしと感じる。
大島さんの作品にはレンガをモチーフにしたものが多い。
なぜかと問えば「一つひとつ積み上げていく感じがなんだか安心するのかなぁ」と
仰っていた。


↑レンガの向こうに見える海。大島さんの茶系の色使いもまた見所。とにかく細かい。下は部分。


↑レンガのトンネルから空を見る。抜けたレンガが星に空が月にも見える。
下は部分。一編の物語がどの作品にもうかがえる。でも決してメルヘンにならない。

一方の長谷さんはテンペラ画。
このお二人の縁は?
長谷さんはその昔、京大の演劇部における公演などで
舞台美術を手掛けられていたそう。
片や大島さんは女優の広田ゆうみさんの朗読公演のフライヤーを
作ったことがあって、まぁいろいろあってこの二人展と相成った。
そういえば広田さんは京大出身でしたね。
そもそもは芳名帳に田中遊さんのサインがあったので
お二人に質問したわけで…。
その長谷さんの作品はちょっと不思議な絵だ。
3つの大きな作品はどれも人物が描かれているのだが
それらは画面での位置関係や露出度からすると
楚々としたポジショニングで、むしろ背景のディテールの
描き込みぶりに圧倒される。
シッタカが興味深いのはその人物のレイアウト。
この会場にあった作品に共通したものとは
決してつま先まで描いていないこと。
一部を画面の外に存在させている。
シッタカはここに、長谷さんの絵に漂う思わせぶりな印象を見たりする。
真意はさておき、背景の描き込みの超絶ぶりは…
嗚呼、現物を見ていない人には伝わりにくいだろう。
シッタカの写真などでは到底無理というもの。
どんなにそばに寄ってみても質感に一切の違和感を伴わないという
とんでもない(失礼)絵である。
しかもそれら背景はすべて想像の産物だという。
そう、舞台美術を手掛けていた、という明白な事実が
すべてを裏付けてしまった(何だか変な言い方だ…)
見てもいないモノを描き(ここが肝心なのだが)
さらに至近距離で見てみれば、一体自分は何を見ているのか
自信がぐらぐらっと揺らぐという…そんな作品。
一枚の女性の絵を見ていてしばし考えた。
どこかで見たことのある人…
「!」それは正に先の広田ゆうみさんであった。
「今度は田中遊さんをモデルにしようかな」とも…
お二人のお話もさることながら
演劇世界と絵世界が
こうゆう風に素敵に結びつくとはね。
帰り道もなんだかちょっとウキウキした二人展でした。



↓背景をアップ。この質感は驚き。実はこの背景が作品になんともいえないアンニュイな空気を漂わす。
などと、シッタカぶる。



↑その広田ゆうみさんがモデルとなった絵。(ガラスの反射でうまく撮れませんでした)