「 現代美術カテゴリー450回を終えて 」
Category : 現代美術シッタカぶり
それまで何の気無しに現代美術の展覧会を覗いて回る休日の日課を
備忘録のような形で残せないかと考えていた時に
見聞日記という意味合いで別に誰に見せるでもなく、ブログを初めてみた。
2009年2月のスタートからぼつぼつとアップしていって
気がつけば現代美術のカテゴリーだけで450回を重ねてきた。
現代美術の他にもドキュメント映画、小説、音楽、
それにいつからかヘタの横好きで始めた演劇やダンスのワークショップの様子や観劇、
あげくの果てにこれまた弾いてる期間だけ長いギター、イラストまで
アップしてしまうという暴走のブログであった。
当時、フリーのグラフィックデザイナーであった私が
仕事の合間の楽しみとしてポタリングしつつギャラリーを回るという
習慣化した趣味から初めたブログは
やがてアップすることが己のミッションであるかのような自己暗示にはまり、
アップするために休日を過ごすという時間の使い方になっていく。
これも気がつけば一種の呪縛にかかったと言えなくもない。
他方でギャラリーのオーナーとのお話や
何と言っても美術家の方々との触れ合いはお金では買えないものであり、
彼らの作り出す熱度や、ギャラリーでの発表とは裏腹な
ストイックで孤独な姿勢を垣間みれたことは心の財産だと思っている。
当時、殆どかわすことが無くなった仕事関係の名刺は
やがて美術家たちの名刺にとってかわり、その数は爆発的に増え、
一度見た個展なのに作家そのものを失念することも度々あるほどであった。
そんな拙いブログでも、決して批判的な文章はアップしない、
あるいは否定的な内容にはしないというささやかなルールがあった。
(ただ一点、なぜそれほどまでに“もてはやされているのか”がわからない作家がいらして
ついアップしてしまったというケースがあった。後に私の大好きな作家が企画した
展覧会で彼の作品も並べられていたことに複雑な気分になった)
私は美術家でも批評家でもライターでもないので
勝手にシッタカぶりますと開き直った発言も再三あった。
しかし昨今ブログをはじめとするネット配信は重要なメディアであり、
ちっぽけなブログといえども自分の文章にはそれなりの責任があると
最近では遅ればせながら思うようになった。
「見た人次第」というのは全ての創造的活動にはついてまわることで
発表する側にも勿論想定されることではある。
だからこそ美術などに全く無縁な私が勝手に展評をこうしてアップできたのかも知れない。
450回を迎えて、よし500回までアップしようと思えなかったのは、
ここへきて文章にすることがどれほどに難しいかということが、
次第に実感に変化してきたことによるものだと思ったからである。
面白い、素晴らしい、美しい、イケてるを
どうやってときほぐし、言葉として再生できるものかということに
そろそろ限界を感じてきたというのが正直なところだ。
そして何よりも、この年齢でフリーから契約社員になったことも一端である。
現在介護の職に就いている私にとって、
かつてほど自由に時間を割くことができなくなり、
アップしたいのは山々でも結局できず終いになることも増えてきた。
作家さんとお約束しておいて、しかしどうしても
パソコンに向かう時間や取れなかったり、肉体的な疲れによって
気力が失せたりすることもあった。
作家さんにはこの場を借りてお詫び申し上げたい。
と言うわけで、ちょっと自分自身を解放しようかと思う。
その分、自分の作りたいもの、表現したいものに
より濃密な時間を配分していきたいと考えている。
そしてカメラも持たず、名刺も持たずに
自由な感度でギャラリー回りをしよう、それこそが
自分にとっての肥やしになるのではないか、そんな風に思う。
つまりは自分で作った勝手なしがらみから
一度降りてみようと言うことである。
気がつけば相当のネチズンになっていた。
もはやネット無しの生活は考えられないほどである。
今までの、不特定多数の人たちへのアピールを
今度は自身へフィードバックさせて、自分で悩んでみる。
450回という節目を迎えてのインターバル。
またゆっくりと何事かをアップしていきたいと思っておりますので
よろしくお願いいたします。
備忘録のような形で残せないかと考えていた時に
見聞日記という意味合いで別に誰に見せるでもなく、ブログを初めてみた。
2009年2月のスタートからぼつぼつとアップしていって
気がつけば現代美術のカテゴリーだけで450回を重ねてきた。
現代美術の他にもドキュメント映画、小説、音楽、
それにいつからかヘタの横好きで始めた演劇やダンスのワークショップの様子や観劇、
あげくの果てにこれまた弾いてる期間だけ長いギター、イラストまで
アップしてしまうという暴走のブログであった。
当時、フリーのグラフィックデザイナーであった私が
仕事の合間の楽しみとしてポタリングしつつギャラリーを回るという
習慣化した趣味から初めたブログは
やがてアップすることが己のミッションであるかのような自己暗示にはまり、
アップするために休日を過ごすという時間の使い方になっていく。
これも気がつけば一種の呪縛にかかったと言えなくもない。
他方でギャラリーのオーナーとのお話や
何と言っても美術家の方々との触れ合いはお金では買えないものであり、
彼らの作り出す熱度や、ギャラリーでの発表とは裏腹な
ストイックで孤独な姿勢を垣間みれたことは心の財産だと思っている。
当時、殆どかわすことが無くなった仕事関係の名刺は
やがて美術家たちの名刺にとってかわり、その数は爆発的に増え、
一度見た個展なのに作家そのものを失念することも度々あるほどであった。
そんな拙いブログでも、決して批判的な文章はアップしない、
あるいは否定的な内容にはしないというささやかなルールがあった。
(ただ一点、なぜそれほどまでに“もてはやされているのか”がわからない作家がいらして
ついアップしてしまったというケースがあった。後に私の大好きな作家が企画した
展覧会で彼の作品も並べられていたことに複雑な気分になった)
私は美術家でも批評家でもライターでもないので
勝手にシッタカぶりますと開き直った発言も再三あった。
しかし昨今ブログをはじめとするネット配信は重要なメディアであり、
ちっぽけなブログといえども自分の文章にはそれなりの責任があると
最近では遅ればせながら思うようになった。
「見た人次第」というのは全ての創造的活動にはついてまわることで
発表する側にも勿論想定されることではある。
だからこそ美術などに全く無縁な私が勝手に展評をこうしてアップできたのかも知れない。
450回を迎えて、よし500回までアップしようと思えなかったのは、
ここへきて文章にすることがどれほどに難しいかということが、
次第に実感に変化してきたことによるものだと思ったからである。
面白い、素晴らしい、美しい、イケてるを
どうやってときほぐし、言葉として再生できるものかということに
そろそろ限界を感じてきたというのが正直なところだ。
そして何よりも、この年齢でフリーから契約社員になったことも一端である。
現在介護の職に就いている私にとって、
かつてほど自由に時間を割くことができなくなり、
アップしたいのは山々でも結局できず終いになることも増えてきた。
作家さんとお約束しておいて、しかしどうしても
パソコンに向かう時間や取れなかったり、肉体的な疲れによって
気力が失せたりすることもあった。
作家さんにはこの場を借りてお詫び申し上げたい。
と言うわけで、ちょっと自分自身を解放しようかと思う。
その分、自分の作りたいもの、表現したいものに
より濃密な時間を配分していきたいと考えている。
そしてカメラも持たず、名刺も持たずに
自由な感度でギャラリー回りをしよう、それこそが
自分にとっての肥やしになるのではないか、そんな風に思う。
つまりは自分で作った勝手なしがらみから
一度降りてみようと言うことである。
気がつけば相当のネチズンになっていた。
もはやネット無しの生活は考えられないほどである。
今までの、不特定多数の人たちへのアピールを
今度は自身へフィードバックさせて、自分で悩んでみる。
450回という節目を迎えてのインターバル。
またゆっくりと何事かをアップしていきたいと思っておりますので
よろしくお願いいたします。