「 長尾 ふみ 個展 」
Category : 現代美術シッタカぶり
6/11→6/23【 gallery morning 】
早いもので残り3日になってしまった長尾さんの個展。
もっと前にアップしたかったのですが…忙しさにかまけてしまいましたね。
さて、今回も相当に素敵な作品がお出ましになっています。
僕はもう、なんというか長尾さんの作品について、
あれこれ書く必要なんかないんじゃないかって、思っているぐらい、
ああ、絵が描けるとはこんなにも素晴らしいものなんだ、という
至って素人の感覚に浸り切ってしまいます。
会場に入ってまず目に飛び込んだ橋の風景には
もう貫禄さえ覚えました。
長尾さんと言えば、まだ面識の浅い僕にとっては
「雪景」というイメージが強くありますが、
今回はインドアとアウトドアの境界をすぅっと跨いでいる感じで
でもどこかに冷やっとした感触が伝わってきます。
橋の作品にしても、影が映る光景にしても、
そしてこれこそインドアと称したい浴室の作品にも
そこには時間の揺らぎがあり、静かに通り過ぎていく過去が刻まれています。
この、DMにもある「お風呂」を見て、
もしや作風が変化したのかなと思った方も居たのではないでしょうか。
しかし、会場に着いてゆっくり見てまわるうちに
やっぱり長尾さんの絵はどこにもない長尾さんの絵でした。
よく、何げない風景、と言いますが、
その何げなさを切り取って平面に表せるのは
筆力も当然ながら、感覚的にチョイスできるセンスです。
雪景色もお風呂も長尾さんの中では同じ目線で切り取った日常のシーンです。
いろいろな画法がある中で自分の描き方を有る程度まで構築させるのには
素人考えですが、試行錯誤を繰り返しながらも
誰かの模倣ではないか、オリジナリティってなんだろうという或る種の
必然とも言える葛藤が作者の胸を重くするのではないでしょうか。
長尾さんはまだ25歳です。
多分、今の画風はこれから連綿と続く作家人生の中での
「この時期」と目されるものかも知れません。
これから変化していく画風の中で、だからこそ何に対象を求めるかという命題にこそ、
実は作家が作家足り得る存在意義が潜んでいるわけで、
画風が変わっていくことなど取るに足らないことでしょう。
長尾さんの個性とは中々言葉に表せない奥ゆかしさそのものであり、
押しつけがましくなく、それでいて芯の通った絵づくりにあると
勝手ながらシッタカぶったりします。
長尾さんの生来お持ちの“シャッター感”のようなものが
作品の随所に見ることができるというのも
この方ならではの愉しさです。
人の居ない場所に人が見えて来たり、
そこに自分が居るかのような、昔から知っているような場所に見えたり、
また無意識によけてしまうだろう水溜まり(「曇りの色」)を
見事な色使いで描く長尾作品は、繊細な、という評し方も勿論ですが
大胆な、と言いたくなる抜けの良さのようなものも感じられます。
絵に動きを与える、というのは想像以上に大変なことでしょう。
その泡が弾けた際のような波紋の動きを
これも自身が仰る「筆跡を残さないような」描き方で、
何か、凛とした空気を醸し出す長尾作品。
どこで見つけてこられるのか(失礼)ガレージの隅で
申し訳なさそうに立つ自販機(「自販機」)などは
この大きな画面の中で、しっかりと“生きている”対象にさえなっています。
東京での展覧会の作品も合わせて展示されていますから、
現在の長尾さんの集大成、いや凝縮された個展として
ご覧になってもいいかなと思います。
そうそう、「silence(2011)」などは実物を見て、
その描き込みっぷりに必ずや感嘆することでしょう。
残り僅かな個展ですが、足をお運びになられてはいかがですか。
以下作品のご紹介です。

「自販機」

「お風呂」

「浴槽」

「橋」


「影」

「曇りの色」

「daylight」

「夕焼け」

「silence」
早いもので残り3日になってしまった長尾さんの個展。
もっと前にアップしたかったのですが…忙しさにかまけてしまいましたね。
さて、今回も相当に素敵な作品がお出ましになっています。
僕はもう、なんというか長尾さんの作品について、
あれこれ書く必要なんかないんじゃないかって、思っているぐらい、
ああ、絵が描けるとはこんなにも素晴らしいものなんだ、という
至って素人の感覚に浸り切ってしまいます。
会場に入ってまず目に飛び込んだ橋の風景には
もう貫禄さえ覚えました。
長尾さんと言えば、まだ面識の浅い僕にとっては
「雪景」というイメージが強くありますが、
今回はインドアとアウトドアの境界をすぅっと跨いでいる感じで
でもどこかに冷やっとした感触が伝わってきます。
橋の作品にしても、影が映る光景にしても、
そしてこれこそインドアと称したい浴室の作品にも
そこには時間の揺らぎがあり、静かに通り過ぎていく過去が刻まれています。
この、DMにもある「お風呂」を見て、
もしや作風が変化したのかなと思った方も居たのではないでしょうか。
しかし、会場に着いてゆっくり見てまわるうちに
やっぱり長尾さんの絵はどこにもない長尾さんの絵でした。
よく、何げない風景、と言いますが、
その何げなさを切り取って平面に表せるのは
筆力も当然ながら、感覚的にチョイスできるセンスです。
雪景色もお風呂も長尾さんの中では同じ目線で切り取った日常のシーンです。
いろいろな画法がある中で自分の描き方を有る程度まで構築させるのには
素人考えですが、試行錯誤を繰り返しながらも
誰かの模倣ではないか、オリジナリティってなんだろうという或る種の
必然とも言える葛藤が作者の胸を重くするのではないでしょうか。
長尾さんはまだ25歳です。
多分、今の画風はこれから連綿と続く作家人生の中での
「この時期」と目されるものかも知れません。
これから変化していく画風の中で、だからこそ何に対象を求めるかという命題にこそ、
実は作家が作家足り得る存在意義が潜んでいるわけで、
画風が変わっていくことなど取るに足らないことでしょう。
長尾さんの個性とは中々言葉に表せない奥ゆかしさそのものであり、
押しつけがましくなく、それでいて芯の通った絵づくりにあると
勝手ながらシッタカぶったりします。
長尾さんの生来お持ちの“シャッター感”のようなものが
作品の随所に見ることができるというのも
この方ならではの愉しさです。
人の居ない場所に人が見えて来たり、
そこに自分が居るかのような、昔から知っているような場所に見えたり、
また無意識によけてしまうだろう水溜まり(「曇りの色」)を
見事な色使いで描く長尾作品は、繊細な、という評し方も勿論ですが
大胆な、と言いたくなる抜けの良さのようなものも感じられます。
絵に動きを与える、というのは想像以上に大変なことでしょう。
その泡が弾けた際のような波紋の動きを
これも自身が仰る「筆跡を残さないような」描き方で、
何か、凛とした空気を醸し出す長尾作品。
どこで見つけてこられるのか(失礼)ガレージの隅で
申し訳なさそうに立つ自販機(「自販機」)などは
この大きな画面の中で、しっかりと“生きている”対象にさえなっています。
東京での展覧会の作品も合わせて展示されていますから、
現在の長尾さんの集大成、いや凝縮された個展として
ご覧になってもいいかなと思います。
そうそう、「silence(2011)」などは実物を見て、
その描き込みっぷりに必ずや感嘆することでしょう。
残り僅かな個展ですが、足をお運びになられてはいかがですか。
以下作品のご紹介です。

「自販機」

「お風呂」

「浴槽」

「橋」


「影」

「曇りの色」

「daylight」

「夕焼け」

「silence」