「 六人部 郁子 個展 」
Category : 現代美術シッタカぶり

2014.12.09〜12.14 【 gallery morning 】
六人部さんのテーマに強い興味をもって
楽しみにしていた個展です。
会場入り口正面の150号変形の大作は自身のボディです。
六人部さんが原因不明(主に心因性のもののようです)の
かぶれや湿疹に悩まされた、
いわゆる“疾患時のスパン”をカンバスに描き留めたものです。
最初に目に飛び込んでくるこの“痛々しさ”はしかし、
そこに同情や憐憫といった、やわな感情を寄せ付けない
「ここに厳然と存在する私だけの肉体」の
記録保存のようにも、また、己の身体に
あらぬ責任を押し付けられた「烙印」のようにも見えます。
ともあれ人間は生まれたまんまの姿で生き続けることは
ほぼないのですから、六人部さんの自己表現の一端に
多種多様なシンパシーを感じる方も多いのではないかと思います。
ご本人はあっけらかんとお話されていましたが
本当に辛かったと思います。


ほぼ同じ大きさの他の2点も
強烈なシチュエーションを感じさせる作品です。
大阪北区のゲイバーに集うドラッグクイーンたち。
中でもドイツのSMのお祭りに現れた「PISSOIR(小便器)」と書かれた
プレートの車に乗る男性の絵。
なんでもここに放尿されたいということですが…
皮の仮面をかぶった彼の醒めたように恍惚とした目元は
遠巻きに見ているであろう人々の足元に象徴されるように
近付き難い志向性・趣味性を放ちますが、
奇異な存在として常にアウトサイドに位置する人々は
或るささやかなる欲望や願望、あるいは妄想が
個人の中での主張の増幅度が行動や外見に顕著に出た、
くらいのもので受け取った方が健全かもしれません。
ここでは同時に彼らが快適な場、主張できる場の確保という
「許容や権利」といったものも浮かび上がってきます。
変態と揶揄されるものの中に潜む普遍性というものも
実はあったりするのかも知れません。
この3点に共通するテイストとは異なる感心、というか
感服感嘆を呼び起こさせる、これも大きな作品がありました。
教育実習で行った身障者施設。
そこでの生徒からの“ラブレター”を油画としたもので、
現物も会場にありましたが新聞広告の裏面に書かれたもので、
実際このようなものを受け取った後は
勿論捨てるには忍びない大事なものですから
引き出しの奥に畳まれて置かれるか、ですよね。
ところが六人部さんは“コレ”を描きます。
僕はその話を聞いて、
不思議なことに現物以上のリアルさを感じたのです。
うまく言葉では表せないんですが、
六人部さんの気持ちが「ドラマツルギー」として
見事に絵に反映されています。

さらに小さい頃の絵をそのまま描いたものも多数あり、
六人部さん独自の復元感覚というか、
再現力というか、そう、昔読んだ本を
大人になって読み返す時の感覚に似ています。
この個展を見て
改めて「テーマがもたらすもの」について考えさせられました。