「遊上 陽子 展 」
Category : 現代美術シッタカぶり

2015.02.10〜02.15 @ gallery SUZUKI
全て正方形グリッドに描き込まれたフリーハンドの円。
遠目から次第に近づくとこの表情は徐々に変化していきます。
一貫してこの作風です。
潔いほどに徹底しています。
しかし、DMに写されたストイックな印象は
ここにはありません。
むしろ鉛筆の線の緩やかな線描は
こんなに小さいのに大らかささえ感じられます。
よく見ると鉛筆の線は明らかに支持体の影響を受けています。
実はこれらの作品のベースは新聞紙なのです。
遊上さんは「場所をとらず、どこにでも手に入るもの」という
至って健全(!)な発想のもとで、この作品を手掛けられています。
面白いのは長年、新聞紙を素材に使っていると
昔と今では質の変化に否が応でも気付くということでした。
以前の紙質の方がコシがあったようです。
一方の絵筆に相当するものも
これまたフツーです。
その昔、僕が小学生の頃はあこがれの的だった「uni」です。
(それにしても大きくなって普通にuniを使えるようになった時の
うれしさはいまだに覚えています)
これも日本中どこへ行っても手に入ります。




この発想は「特別な何か」を創作の精神的な付加価値として
有形無形に反映させるやり方
(例えば高い画材が当然良いとされること)
とは一線を画しています。
これは考え方の「差」であって勿論優劣の話ではありません。
しかし新聞紙と鉛筆という「知る」と「書く」についての
現代人にとっての原初的なツールを画材にされていることは
ゆっくり考えてみるととても魅力的であることがわかり、
僕たちはおそらく下地に貼られた知る由もない記事の内容を
面白がって推し量ったりもします。
フリーハンドで描かれた線の支持体からの影響はまさに
新聞のヨレやシワであったわけです。
或る法則性に従って一見無機的に見えたこれらのパターンが
活き活きと動き出す瞬間、
この作品は全く違うものとなって観客を魅了します。
「場所をとらず、どこにでも手に入るもの」という
作家にとっての合理的な発想は
おそらくは巧妙な創意の積み重ねの上で
成り立っているのかも知れません。




