「 AHEAD ~ 山本 昂二朗 」
Category : 現代美術シッタカぶり

2016.01.08~01.11【 堀川御池ギャラリー Aスペース 】
2014年の京都造形芸術大学の卒業制作。山本青年は宮城県、石巻市から生活用品を含めた大量のガレキをリヤカーに積んで、京都から東京まで38日間をかけて徒歩で踏破するという作品を発表しました。彼の中での「震災被害の風化なんてありえない」という確信は、やがて疑問になり、思いは真逆の方向へと向かいます。このガレキを目に晒(さら)すことで、少なくとも「そこに居なかった人々」の記憶の中にシミのようなマーキングを残したかったんだろうと思います。そんな山本青年の個展です。ところで皆さんは「到達不能極」という言葉を知っていますか。これは海から一番遠い場所のことです。世界レベルではユーラシア大陸のウルムチ、日本では長野県佐久市がその地点に当たります。別に到達できないわけではありませんが、こんな名称が付けられています。つまり佐久市にコンパスの針を刺せば、日本海側は新潟県直江津、太平洋側は静岡県田子ノ浦港が円弧の一点となります。彼は佐久市の土を両方の海に撒き、両方の海水を佐久市に撒きます。僕はこの行為を映したビデオを見て、彼が等身大の大きさで実際の距離を歩いた間の(つまり想像でも空想でも妄想でもなく)皮膚感や温度、湿度、人間の機微にリアルに触れたという体験こそが、彼だけの「空間意識」というものを実感させたのではないか、と考えます。あらゆる表現は文字、音楽、映像、肉体、装置…といったものを道具→媒介しながら、それぞれの方法で、それぞれが成し得る効果的な見せ方で提示します。彼の場合は美術大学の油画を専攻してきましたが「カンヴァスに描こうとする自己」の所在と理由、目的といったものから、体感することから見えて来る現実というものへ、意識が移行していったのではないか、などとシッタカぶるわけです。何にせよ、プランはいろいろあるんです、と語る彼に、或る種の頼もしさを感じるのは、表現の多様さは、その数の分だけの尺度と温度がある、という僕の勝手な不文律を改めて認識することになります。実はうっすらと光るコーンが並んだ会場は予定では窓のないスペースになるはずだったのですが、スケジュールの関係でこちらの会場での展示を余儀なくされてしまったということです。このコーンは「イメージのシミュレーション=再現」であり、現場感とは遠いものですが、日本の鎮魂、祈念、儀式の様式美の一つである「光の集積(行灯、灯籠など)」を、新入禁止のストッパーとしてのコーンになぞらえたもので、実際に交通事故の多発する道路脇に置かれたものは、さしづめ墓碑銘のようだったと想像します。






