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「 工藤 政秀 展 ~ 森に棲む 」

Category : 現代美術シッタカぶり
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2016.04.26~05.01【 gallery morning 】

支持体に見られる無数の皺。その痕跡のようなディテールは作家の「生身」を落とし込む最初の作業=儀式のようなものかも知れません。記憶から去ることは決してない、あの、津波に流された家々とあるはずのものが変容していく悪夢のようなシーンを“知った”瞬間、抗えぬ自然現象ゆえの災厄とはいえ、その恐怖の大きさと不本意な所業に世の美術家のみならず、あらゆるクリエイターは一瞬にして成すべきことを失ったかのように呆然と立ち尽くほかありませんでした。同じような無慈悲な大地の震撼に再び遭うことになった今、彼ら作家たちは決して後ずさりすることなく、その強い思いを如何に作品に反映させ、破壊された時間を修復すべく「生」への作家としての心性を吐露し対話することこそ、創造者としての存在があると確信しています。工藤さんは生活を支えていた大地=土という要素にご自身の生=現在を重ね、土くれた身体に布を擦り付け、洗い、淡い痕跡を作り、それから「描く」という行為へと進めます。それは工藤さんの言う「どこからやってきて、どこへ行くのだろう」という永遠の自問へのラビリンスを記憶として刻印し、肉体と精神の答えの出ない共存性を探る深い仕事でもあります。画面に記された多くの傷のような絵具の勢いは、記憶の果てに朧げに見えてくる「現(うつつ)と幻」を行き来する時間の隙間のようにも思えます。消えていく記憶と、消えていくことを恐れるがためにある記憶.作家の主意とは異なるかも知れませんが、いつも思う事があります。人生とは深い森であり、生きている限り森の中を進まねばならない宿命を負っている。歩いていけば災難を避けることもできるが、何者と遭遇するか知れない。それは病気、事故、失敗…そしてあちら側から不意に訪れる災厄。「無事に生きる」ということの意味を僕は森という有機体の輪廻の象徴に例えて見ているのかも知れません。工藤さんは横浜在住の作家さんで多くの国内外で多くの作品を発表されています。京都での個展は初めてとのことです。ぜひ!

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